そもそもおいちゃんは昔からOO7が好きで、ショーンコネリー時代からの熱烈ファンで、改造されたアストンマーチンば欲しくなったり、トヨタ2000GTに変わったりしたばってん、2代目ボンドのロジャームーアに変わったアノのロータスエスプリば見てショックと出会いを感じたとよ。本当に水陸両用ばいと信じておって、潜水するのはディーラーのオプションかとまで思いよったとよ。んなわけないばいな・・・
若い時にはロータスなんて勿論買うお金もないし、必死マメタンで買った車がトヨタダブルエックスの24バルブやったばい。購入の決めては当時のカタログにチャップマンとロータス工場が載っておってハンドリングバイロータスやったとですたい。
しかしいつかはと思いつつ幾多のクルマと浮気ばしつつエスプリの写真を眺めておった時に、もう40歳を越してしもーて、このままではタダのクソジジィになってまうと思い本厄の年の厄払いの意味を込めて念願のエスプリば衝動的に、いや華麗に手に入れた分けですばい。
手にいれたのはよかばってん、どうしても走っている姿が見たい、と言う衝動にかられ運転しているだけではクルマ全体が見えんばいと言う欲求におちいったばい。高速道路で光るタンクローリーの後ろに近寄って追突しそうになったり、愛車を写してみたり、信号で止まってショウウィンドウに写してうっとりと見たり・・ばってん、なんか違う・・・・となればもう1台同じものを探せばよいのじゃと思い、Lotus JPS clubさんにに登録してワクワクしながらエサをまいとったところにに、ひかかったのが今の1号車との出合いで、まさに同じ福岡県は博多じゃったと言うわけですたい。
出会うまで約半年間はひとりぼっち走ってましたばい。
最初のロータスとの出会い
クラブ発足のきっかけ
2000年頃は九州にはどこにもLotusのクラブもWebもなく寂しかったばい。そんなら2台からエスプリのクラブを作ろうと、Club Esprit of Fukuokaとどこぞのwebからパクッタな名前を付けて張り切っておったのもつかのま1年経過しても一桁台でとげんしょーかと悩み、視野を広くしてLotus-FukuoCarとして九州全体から探しまくりましたばい。嬉しい事に関西方面の参加も当初から多く、これやったらまた名前変えないかんばいと思い今のLotus-Kyushuにしたとです。本当はLotus-西日本名の計画もありましたばってんが、2004年に茂木でClassic Team Lotusの50周年と時期が重なり、スタッフHN入りブルゾンを制作した為に、もうこんままでよかばいってな事になったとです。しかしここまで増えたのも一重に風変わりな楽しい会員家族の個々の個性があったのと、なによりもJPS Clubさんのおかげだと感じております。